放送内容
神奈川県立相模原高等学校の同窓会がお送りするラジオ番組「Go!Go! 県相」 。新年度のスタートとなるシーズン11第1回の放送では、創立から58年目を迎えた母校の変わらない伝統と教室に掲げられた「冷節・審議・根性」の精神を胸に 、長年ボランティアとして組織を支え続ける10期生の卒業生をスタジオにお迎えしました 。
今回のゲストは、平成12年から長きにわたり同窓会新聞(現・広報紙)の編集担当として中心になって活躍され 、相模原市役所でも長年勤務されてきた細谷孝司さんです 。一人の「県相OB」として、図書室での懐かしい追試の記憶や、地域に密着した多様なお仕事の歩みをたっぷりと語っていただきました 。
3問中2問正解で「合格」!江口先生の英語小テストとラーメンの思い出
昭和51年に県相を卒業した細谷さんは、高校時代はあえて部活動には所属せず、日々の学業を中心に過ごされていました 。その中で最も鮮烈に脳裏に焼き付いているのが、1年と2年の担任だった英語の江口先生による毎時間の英文ライティング小テストでした 。
テストは毎回3問出題され、2問正解すれば合格のハンコが押されますが、1問以下だと不合格となり過酷な追試が待っていました 。不合格者はその英文を10回から15回ノートに書き写し、通常は職員室ではなく図書室の奥の部屋に常駐している江口先生の元へ持参して点検を受けなければなりませんでした 。毎回授業の前には強烈なプレッシャーを感じていた細谷さんですが、ある時クラスメイトが怪我で休んだ際、先生の車で一緒にお見舞いに行き、帰りにラーメンを奢ってもらったという温かいエピソードも披露 。「授業では本当に怖かったけれど、それ以外の場所では生徒想いの素晴らしい先生でした」と、恩師への深い感謝をぶっちゃけてくれました 。
「男なら理系へ行け」から文転、そして市役所で多様な部署を駆け抜けた日々
進路選択の時期、細谷さんは明確な目標を持っていませんでしたが、当時の先生から「男なら理系へ進め」とアドバイスされ、そのまま理系クラスへと進学しました 。しかし、いざ大学受験を迎えると、自らの興味を見つめ直して経済学部(神奈川大学貿易学科)へと進路を変更する「戦略的な文転」を決意 。結果的に高校時代の理系の勉強は直接活かされませんでしたが、この柔軟な選択がその後のキャリアの土台となりました 。
大学卒業後は「地元のために働きたい」という強い想いから相模原市役所へと入庁し、行政職として採用されました 。配属された部署は多岐にわたり、最初は役所が使用する消しゴムから消防車にいたるまでの物品調達や学校建設の契約業務を担当 。その後は、固定資産税の評価額計算、障害福祉、さらには津久井地域での夏祭りの運営から生活保護のケースワーカーまで、3ヶ月ごとの急な異動も含めて様々な最前線で街を支え続けました 。役所内には1期生の先輩から若い世代まで非常に多くの県相出身者が在籍しており、要職で活躍するOB・OGの縦の繋がりの強さが、地域で働く上での大きな誇りになっていると語ってくださいました 。
【同窓会コーナー】文字数とスペースの戦い!広報紙の苦労と消防団・審判の情熱
市役所を定年退職した現在も、再任用職員として仕事を継続している細谷さん 。その傍らで、地元の資材屋さんに誘われたことをきっかけに平成4年から消防団に加入し 、現在は幹部としての立場を確立しています 。さらに、野球好きが高じて平成10年からは神奈川県野球連盟の公認審判員としても登録 。ストライクやアウトの判定一つで試合の流れが変わる責任の重さにのめり込み、毎試合後に反省会を重ねながら週末のグラウンドに立ち続けています 。
さらに、誘われたら断らない実直な性格から、昨年度からは地域の自治会役員も引き受け、その役割は増すばかりです 。そんな細谷さんが20年以上続けてきたのが、同窓会新聞の編集です 。「卒業生を尋ねて」のコーナーなど、限られたスペースの中に文字数が綺麗に収まるかどうか、逆にスペースが余って白地が開いてしまわないか、毎回写真の大きさと文字のバランスを緻密に計算する苦労があったと回想 。「同期の10期生は役員の中に自分一人しかいないので、少しでも手伝ってくれる仲間が増えたら嬉しい」と、これからの同窓会活動への期待を語り、お気に入りのリクエスト曲であるZARDの『負けないで』のメロディと共にトークを締めくくりました 。
【同窓会事務局からのお願い】
同窓会本部は、会員代表となった皆さんがボランティアで熱心に運営を続けています 。会員の皆さまからの住所変更やお問い合わせにスムーズに対応するため、個人情報の管理や代行業務は「株式会社同窓会事務局」という専門の会社に委託しておこなわれます 。
これらの活動維持やホームページの運営、同窓会新聞の発行・発送を継続するため、卒業生の皆さまには「1,000円以上の活動維持費」の納入へのご協力を切にお願いいたします 。会員数の増加に伴い運営は困難を極めていますが、ホームページには懐かしい古い下駄箱や校舎の様子、過去のラジオ音声もたくさんアップされていますので、ぜひ温かいお気持ちで母校の歴史を一緒に盛り上げていきましょう 。
今回のゲストは、平成12年から長きにわたり同窓会新聞(現・広報紙)の編集担当として中心になって活躍され 、相模原市役所でも長年勤務されてきた細谷孝司さんです 。一人の「県相OB」として、図書室での懐かしい追試の記憶や、地域に密着した多様なお仕事の歩みをたっぷりと語っていただきました 。
3問中2問正解で「合格」!江口先生の英語小テストとラーメンの思い出
昭和51年に県相を卒業した細谷さんは、高校時代はあえて部活動には所属せず、日々の学業を中心に過ごされていました 。その中で最も鮮烈に脳裏に焼き付いているのが、1年と2年の担任だった英語の江口先生による毎時間の英文ライティング小テストでした 。
テストは毎回3問出題され、2問正解すれば合格のハンコが押されますが、1問以下だと不合格となり過酷な追試が待っていました 。不合格者はその英文を10回から15回ノートに書き写し、通常は職員室ではなく図書室の奥の部屋に常駐している江口先生の元へ持参して点検を受けなければなりませんでした 。毎回授業の前には強烈なプレッシャーを感じていた細谷さんですが、ある時クラスメイトが怪我で休んだ際、先生の車で一緒にお見舞いに行き、帰りにラーメンを奢ってもらったという温かいエピソードも披露 。「授業では本当に怖かったけれど、それ以外の場所では生徒想いの素晴らしい先生でした」と、恩師への深い感謝をぶっちゃけてくれました 。
「男なら理系へ行け」から文転、そして市役所で多様な部署を駆け抜けた日々
進路選択の時期、細谷さんは明確な目標を持っていませんでしたが、当時の先生から「男なら理系へ進め」とアドバイスされ、そのまま理系クラスへと進学しました 。しかし、いざ大学受験を迎えると、自らの興味を見つめ直して経済学部(神奈川大学貿易学科)へと進路を変更する「戦略的な文転」を決意 。結果的に高校時代の理系の勉強は直接活かされませんでしたが、この柔軟な選択がその後のキャリアの土台となりました 。
大学卒業後は「地元のために働きたい」という強い想いから相模原市役所へと入庁し、行政職として採用されました 。配属された部署は多岐にわたり、最初は役所が使用する消しゴムから消防車にいたるまでの物品調達や学校建設の契約業務を担当 。その後は、固定資産税の評価額計算、障害福祉、さらには津久井地域での夏祭りの運営から生活保護のケースワーカーまで、3ヶ月ごとの急な異動も含めて様々な最前線で街を支え続けました 。役所内には1期生の先輩から若い世代まで非常に多くの県相出身者が在籍しており、要職で活躍するOB・OGの縦の繋がりの強さが、地域で働く上での大きな誇りになっていると語ってくださいました 。
【同窓会コーナー】文字数とスペースの戦い!広報紙の苦労と消防団・審判の情熱
市役所を定年退職した現在も、再任用職員として仕事を継続している細谷さん 。その傍らで、地元の資材屋さんに誘われたことをきっかけに平成4年から消防団に加入し 、現在は幹部としての立場を確立しています 。さらに、野球好きが高じて平成10年からは神奈川県野球連盟の公認審判員としても登録 。ストライクやアウトの判定一つで試合の流れが変わる責任の重さにのめり込み、毎試合後に反省会を重ねながら週末のグラウンドに立ち続けています 。
さらに、誘われたら断らない実直な性格から、昨年度からは地域の自治会役員も引き受け、その役割は増すばかりです 。そんな細谷さんが20年以上続けてきたのが、同窓会新聞の編集です 。「卒業生を尋ねて」のコーナーなど、限られたスペースの中に文字数が綺麗に収まるかどうか、逆にスペースが余って白地が開いてしまわないか、毎回写真の大きさと文字のバランスを緻密に計算する苦労があったと回想 。「同期の10期生は役員の中に自分一人しかいないので、少しでも手伝ってくれる仲間が増えたら嬉しい」と、これからの同窓会活動への期待を語り、お気に入りのリクエスト曲であるZARDの『負けないで』のメロディと共にトークを締めくくりました 。
【同窓会事務局からのお願い】
同窓会本部は、会員代表となった皆さんがボランティアで熱心に運営を続けています 。会員の皆さまからの住所変更やお問い合わせにスムーズに対応するため、個人情報の管理や代行業務は「株式会社同窓会事務局」という専門の会社に委託しておこなわれます 。
これらの活動維持やホームページの運営、同窓会新聞の発行・発送を継続するため、卒業生の皆さまには「1,000円以上の活動維持費」の納入へのご協力を切にお願いいたします 。会員数の増加に伴い運営は困難を極めていますが、ホームページには懐かしい古い下駄箱や校舎の様子、過去のラジオ音声もたくさんアップされていますので、ぜひ温かいお気持ちで母校の歴史を一緒に盛り上げていきましょう 。